フランス語で人生大逆転!おさのプロフィール
Salut ! おさです
このブログでは
何の取り柄もなかったおさが、
フランス語で人生を変えた逆転ストーリー
を紹介します!
継続することが大の苦手で
勉強も大嫌いだった私が、
どうやってここまで
フランス語を上達させることができたのか。
ぜひご覧ください!
「おさ」って誰?
現在は東京都内で会社員として働く傍ら、
「明日から使えるフランス語」
をテーマに日々情報を発信しています。
「おさ」という名前は
私のアルバイト先のあだ名である
「おさの」から付けました。
当時はスターバックスでアルバイトをしていました☕
黒エプロンを保持者です(ドヤっ)
札幌出身で大学卒業までずっと
北海道で暮らしていました。
フランス語との出会い
私がフランス語に出会ったのは
大学に入学してからです。
大学の第二外国語で単位取得が楽だという
安直な理由でフランス語を選びました。
気づけばフランス語の面白さに魅了され、
キラキラ大学生活の対極で孤独に勉強し続けた結果、
フランスの大学院を修了・国際機関で
インターンを経験することができました。
語学力に関しては、
大学院在籍中にDALF C2に合格し、
帰国後はフランス語検定1級を一発合格しています。
余談ですが、フランス現地でC2を取った日本人を
今のところ見たことがありません
3年以上の留学経験や身につけた語学力を、
フランス語を学ぶ人のために役立てたいと思い、
- ネイティブが日常で使う便利フレーズ
- 難しい・混乱しがちな文法のまとめ
をSNSで発信しています。
フランス語に出会うまで強みが0だった私
私はフランス語に出会うまで、
とにかく平凡な人生を過ごしていました。
幼い頃から母子家庭で、
裕福とは言えない家庭で育った私には、
生まれ持った才能もなければ、
努力して得た特技もありません。
私は元々とても面倒くさがりな性格で、
何かをコツコツ続けることがとにかく苦手。
勉強も大嫌いでした。
中学校でのテストの点数は大体60~70点で、
ぎりぎり先生に怒られないくらい。
でもひどいときは、
数学の定期試験で30点台という
驚きの数値を叩き出したこともあります。
それでも家族には何も言われないので、
気にせず3DSで遊び呆けていました。
当時は「あつまれ どうぶつの森」で
村作りを極めていました🏘️
高校受験の時期になっても、
まったくやる気が湧いてきませんでした。
ただ、金銭的な理由から
自宅から通える公立高校に進学しよう
とは思っていました。
しかし、条件を満たす高校は最低でも偏差値56。
偏差値50以下の私が模擬テストを受けた結果
判定はFランクでした。
「このままでは落ちる…でも勉強はしたくない…」
それでも母親に迷惑をかけまいと思い、
頭のいい友達に質問攻めしながら勉強した結果、
何とか公立高校に進学できました。
無事にお高校に進学できたものの、
なまけものの習慣は変えられず、
大学受験も同じ過ちを繰り返します。
むしろ高校受験でうまくいったせいで
「直前で勉強すれば受かるでしょ」
と思い、アルバイトに明け暮れていました。
高校3年生の夏までアルバイトを続けました。
その結果、受験は失敗。
私立大学に行く選択肢は金銭的になく、
1年間浪人することに。
母には迷惑をかけたくなかったので
アルバイトで貯めた100万円を
予備校代に費やしました💸
周囲の環境で勉強に火が付いた
予備校に通い始めてすぐに衝撃を受けました。
「周りの人、頭良すぎる」
一番下のクラスに入ったにも関わらず、
周囲は偏差値60以上の高校を卒業した人ばかり。
自分だけ頭が悪いと肩身が狭く感じました。
挙句の果てに模試の結果の順位が掲示され、
自分の点数との差に絶望。
でもそこで心に火が付いたんです。
「このランキングに絶対載ってやる…!」
毎回の模試に全てをかける意気込みで、
毎日8時間以上の勉強を始めました。
先に進学して、キャンパスライフ✨️を送っている
友達のLINEは全て削除。
やり込んでいたどうぶつの森ともお別れし
文字通りすべてを勉強に捧げました。
その結果………
みるみる偏差値が伸びたんです。
50前後だった偏差値が
60を超えるようになりました。
自分の精一杯の努力で、
やればやった分だけ成果がでる。
こうして、私の人生で初めて
努力・勉強することの面白さに気づきました。
でも、私はここで勉強をやめませんでした。
努力の先に見たことのない世界があった
なぜ、ここで私は勉強を
やめなかったのでしょうか?
主に2つの理由があります。
勉強を辞めなかった理由1
1つ目は、
上には上がいることを知ったから
です。
予備校で偏差値を上げたことで、
途中から上位コースに入ることができました。
すると周りのレベルが一段と高くなり、
自分はまだまだだと改めて気づくことができました。
より「頭のいい人」に囲まれ
さらに私の偏差値も上がりました。
偏差値に伴い志望大学のレベルを上げ、
高い目標を実現するため
毎日必死で勉強しました。
センター試験の結果も
B判定までこぎつけ、
志望大学の2二次試験を
予定通り受験しました。
手ごたえは悪くなく
合格できたかもしれない…
そんな期待を寄せていました。
結果は…
不合格でした。
努力が実りませんでした。
最終的には現役で志望していた大学に
後期で入学しましたが、
悔しくてたまりませんでした。
現役時には「行きたい!」と思っていたはずなのに、
浪人時に合格しても全然うれしくなかったです
でも、落ちたことに公開はしていません。
大学に入ってからも勉強を続け、
「いつか第一希望の大学に行った人たちを追い抜いてやろう!」
そう思い、メラメラ燃えていました。
勉強を辞めなかった理由2
勉強を続けた理由2つ目は
人生で初めて本気で努力して、強い達成感を味わえたと同時に
成長することのワクワクを実感したから
これが2つ目の理由です。
それまで面倒くさがりで
辛いことから逃げ続けてきた私は
努力なんて必要ないと思っていました。
しかし、2度の受験を通じ
努力という痛みの先には
素晴らしい世界が広がっていると気がついたのです。
こうしたRPGのような状況に面白さを見出し、
何事にも前向きに挑戦するようになりました。
フランス語を勉強すると決意した大学時代
大学入学後はすでに勉強の火が付いていたので、
英語を猛勉強しようと決めていました。
英語以外は単位がラクに取れる授業を選択して、
英語の勉強時間を確保しよう。
そう思い第二外国語はスペイン語を第一希望にし、
フランス語を第二希望にしました。
あいにく抽選に敗れ、
第二希望のフランス語を勉強することに。
ただ、フランス語検定3級に合格すると
大学の期末試験が免除になると知り、
フランス語の参考書を購入し
独学でフランス語の勉強を始めました。
フランス語の勉強は最低銀に抑えて
すべてを英語学習に捧げる勢いでした
そして迎えた初めてのフランス語検定。
3級と4級の併願でしたが…
結果は撃沈
特にリスニングが早すぎて
フランス語を全く聞き取れませんでした。
「やっぱりゼロからフランス語を始めるのは効率が悪いんだ」と心が折れ、
フランス語をあきらめました。
元々英語を勉強していたので、フランス語のことは忘れ、
その夏カリフォルニアに1か月間の短期留学をしました。
英語こそが世界の共通語だと信じていました。
でも、転機は突然訪れます。
ホームステイ先の家族が
フランス語圏のアフリカ出身だったのです。
ホストマザーは英語を話せましたが、
子どもたちは英語を話せません。
家族同士ではフランス語で会話をします。
「会話に入れない…」
家族とコミュニケーションが取れず
ホームステイ先では疎外感を感じていました。
そして少しは勉強したフランス語が
全くわからない。
フランス語を話したくても話せない。
そんな自分が情けないと感じました。
英語だけでは見えない世界に気づき、
「もう一度、フランス語をやり直そう!」
こう決意しました。
それから、アメリカ留学中にも関わらず
フランス語の参考書を買いに行きました。
ホームステイ先の子どもたちと一緒に
フランス語の単語を少しずつ覚えました。
「あれ?フランス語って面白い!」
難しいイメージのフランス語が
面白いと感じるようになりました。
アメリカでの経験が
私が本気でフランス語を学習するようになった
きっかえです。
ただ、私の大学には
フランス語の勉強を本気でしている学生はいませんでした。
でも、切磋琢磨できる仲間がいなくても
構わないと心に決めていました。
人生一回きりだから、やりたいことを精一杯やりたい。
周りに合わせる人生ではなく、自ら切り開き、
自分だけのストーリーを描きたい。
そう思った私は「フランスに長期留学」という目標を抱き、
次のステップへ向けて勉強を開始しました。
勉強しすぎて周りから引かれることもありましたが
気にしていませんでした。
念願のフランス交換留学
大きな目標を設定した私は、交換留学を実現すべく、
・フランス語で日常会話ができる
・ネイティブのフランス語を聞き取れる
を目指し、最適な方法を考えて努力してきました。
文法書とフレーズ集を丸暗記し、
YouTubeでフランス語のドラマを見た結果、
大学1年生の秋にフランス語検定準2級に合格し、
翌年の夏にはAix en Privenceに
交換留学で行くことができました。
現地での生活は浪人時代を彷彿させるものでした。
周りの留学生は自分よりも
圧倒的にフランス語が話せるし、
ネイティブの話すフランス語がが早すぎて
全然聞き取れない。
またしても過酷な環境に身を置くことで、
結果的に1年間でフランス語が驚くほど上達。
帰国後すぐに、フランス語検定1級と同等とされる
DALF C1に合格できました。
すると今度はフランス語で
何かを勉強したいという想いが強くなりました。
そしてフランス語もネイティブと同等レベルまで
上達させたいとも本気で思っていました。
フランスの大学院に進学することへの熱量が高すぎて、
大学を成績優秀により3年で早期卒業。
2020年にリヨン第3大学の大学院に
正規留学生として旅立つことになりました。
地獄のフランス大学院留学生活
無事にフランスの大学院に進学できたものの、
待っていたのは勉強地獄。
フランスの授業は1コマ3時間で、
その間先生は話すだけで板書を
一切取らないという鬼畜っぷり。
講義の内容を聞き取れても
フランス語でノートを取るスピードが追いつきません。
ノートを取れても、それが正しいかわからず、
友達のノートを見ながら自分のノートを訂正するんです。
3時間分の講義は復習も大変でした
学校でも勉強、家でも勉強。
そんな生活で1日の勉強時間は
10時間前後でした。
生活が辛いときもありました。
せっかくフランスに来たのに、
オシャレな生活とは真逆の
泥臭い勉強の毎日。
心が折れそうに何度もなりました。
お金がなかったこともあり
ご飯はパスタボックスばかりでした
しかしそんな時
「なぜ自分がフランスに来たのか」
を思い出すとそんな気持ちもなくなりました。
- 「フランス語で何かを学びたい」
- 「フランス語をネイティブレベルに極めたい」
それを実現するために自分はフランスまで来たんだと、
何度も自分に言い聞かせました。
辛いときも必死でくらいつきました。
その結果、大学院を修了することができました。
さらに、在籍中にフランス語の試験で
最高峰のDALF C2にも合格しました。
そして、運も味方にし、フランスの国際機関で
6か月間のインターンシップをすることができました。
インターン先では、私のフランス語力に驚く人が多かったです
フランスで得た経験を価値として届けたい
こうして私は、
フランス語を通じて様々な経験をしてきました。
その中で得られたのは
フランス語力だけではありません。
目的達成に必要な知識・考え方など、
多くのことを習得できたのです。
私がこれまでフランスで積み重ねた経験と学びを、
多くの方に価値として還元したいと思っています。
「フランス語は難しい」と挫折した過去の自分の経験も踏まえ、
同じ悩みを持つ方の力になれればと想っています。
「世界に飛び立ち、活躍したい!」と思う
フランス語学習者の目標を後押しするべく、
引き続き価値を生み出し続け、
みなさんとともに成長していきます。
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